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2021年07月15日

建築・環境デザイン研究室の活動報告:タイ国の水田地帯の小さな水辺集落の今 【その1・失われた床下の暮らし】

タイ王国の経済的発展はめざましい。首都バンコクでは国際空港の整備、都市内鉄道路線、地下鉄路線の延伸が急ピッチで進められおり、その都市風景の変化の大きさには訪れる度に驚かされる。このような変化は近年我々の目にも判る形で顕在化したものの、それまでに生活の様々なところでじわじわと進んでいた。ここで紹介する小さな水辺集落であるラチャドゥ村にも、ゆっくりと、じわじわと、変化の波が押し寄せているように見える。ここでは3回に分けて、その一片をお伝えする。

 

■水田地帯の小さな水辺集落

ラチャドゥ村(Ban Lat Chado)は、タイ王国の首都・バンコク都から北へ約110kmに位置し、アユタヤ県パックハイ群ノンナムヤイ区に属している水辺集落である(図1)。遺跡で有名なアユタヤ駅から西に、長閑な水田地帯を約40分間ほど車を走らせると素っ気無いゲートのある小さな集落の入り口が現れる。バスなどの公共交通機関はない。日常の足として小排気量のバイクや車は生活必需品である。

ラチャドゥ村の住居とサパーンの配置
図1. ラチャドゥ村の住居とサパーンの配置

ラチャドゥという村の名は、かつて集落を流れる川で食用として盛んに投網漁がされていた魚「Pla Chado」にちなんで名付けられた。毎年、7月の中旬から下旬にかけて「Aquatic Phansa Festival」と呼ばれる仏教祭が開催されている。タイの他地域で行われている同様の祭りに対し、水上の船で行なわれるのが特徴的であるため、国内から多くの人が訪れ、その様子はテレビ報道される。小さいながらもタイでは全国的に知られた集落である。

GoogleMap : https://goo.gl/maps/4KJpxmx1RZxa2wMr5

 

■失われた床下の暮らし

ラチャドゥ村の住居の殆どは高床式の住居の一種である杭上住居である。杭は住居の柱を兼ねない。タイは、11月〜4月の乾季と5月〜10月の雨季との区別が明瞭で、雨季には年間の降水量の9割近くの雨が降る。ラチャドゥ村は流下能力に乏しい緩流河川であるチャオプラヤー川に繋がる運河に囲まれているため、雨期には1.2m程度水位が上昇する(図2)。

図2. ラチャドゥ村の水辺住居とサパーン
図2. ラチャドゥ村の水辺住居とサパーン

一方、乾期には地面を歩けるほど水位が下降する。この時期の床下空間は、様々な使い方がされてきた泥土が堆積し、ゴミが散乱し、水捌けの悪いジメジメとした場所となっている。このような状況に至った理由は少なくとも2つあると我々は考えている。一つは、道路整備による地域全体の流下能力の低下であり、もう一つは集落内通路であるサパーンのコンクリート造化である。

 

 道路= 土塁

1970年代中頃、骨格となる主要な道路整備がひと段落したのちに地方部の道路整備が勢力的に進められ、1980年代後半から、経済発展とともにモータリゼーションがタイ全土に波及したと言われる。未だ仮説ではあるが、この地方部の道路網整備はチャオプラヤ・デルタの流下能力に少なからず影響を与えたと考えている。

アユタヤ県がある新デルタ地帯の主要幹線道の多く区間は、田園地帯において土盛りされ周辺より1m程高くなっている。その両脇には一次貯留と排水を兼ねた幅深さともに数m規模の堀が延々と配されている。高さは低いものの、これはまさしくアスファルト舗装された土塁である。数百mごとに道路の両側の堀をつなぐ直径1mほどの土管が埋め込まれている。もちろんこの土管が排水に寄与すると思われるが、地域全体の流下能力の低下を道路整備前のレベルまで補うとは考え難い。

同様の方法による道路整備がラチャドゥ村周辺の地区内道路のレベルで現在も行われつつある。地区内に張り巡らされた排水路は、徐々に進められている道路整備によって寸断されている(図3)。高齢の村民は、道路整備が進み便利になったのと機を同じくして、地区内に流れ込んだ水の滞留期間は長くなり、泥土が堆積し、ジメジメとした床下となったと指摘する。

図3. 道路整備によって分断された水路
図3. 道路整備によって分断された水路

 

 サパーン = 蓋

道路整備と同様に、床下の暮らしを奪ったもう一つの出来事はサパーンのRC造化である。

図4. 左)木造サパーン、右)コンクリート造サパーン
図4. 左)木造サパーン、右)コンクリート造サパーン

ラチャドゥ村を含む多くの密集した水辺集落には陸地から家々をつなぐサパーンと呼ばれる桟橋が路地のように集落内に張り巡らされている。かつて、サパーンは木で作られていた。木造サパーンは、住民の手によって掛けられメンテナンスされてきた。しかし、オートバイの利用などで傷みが進みやすくメンテナンスが大きな負担となった。加えて材木の高騰から、ラチャドゥ村では1982年からコンクリート製への架け替えが始まった(図4、図5)。

 

図5. コンクリート造サパーンと住居の断面的関係(雨季)
図5. コンクリート造サパーンと住居の断面的関係(雨季)

コンクリート造・サパーンの建設は行政が土地を供出する地権者らの合意が取れた部分から始められたため、既存の木造サパーンとは異なる位置に架けられた区間もできた。住居の出入り口の変更を余儀なくされる者の中には舟着場の位置の変更までも必要な者もいた。中には便利なオートバイを使うこととして、舟を諦めた住民もいたという。

図6. 左)乾季でもゴミと泥土が溜まって使われなくなった地面(ラチャドゥ村)、右)一般的な乾季の地面の使われ方(近隣の村)
図6. 左)乾季でもゴミと泥土が溜まって使われなくなった地面(ラチャドゥ村)、右)一般的な乾季の地面の使われ方(近隣の村)

図7. 泥土を浚った床下での生活(奥に積み上げた泥土が見える)
図7. 泥土を浚った床下での生活(奥に積み上げた泥土が見える)

住居が密集した中に1.5mと決まった幅のサパーンが差し込まれたことで住居とサパーンとの距離は隙間程度まで縮まった。コンクリート造・サパーンに置き換わるにつれて通路としての利便性は高まったものの、床下は、蓋をされたがごとく、以前よりも暗く、地面の乾きにくい場所となった(図6)。前述の泥土の堆積とも相まって生活には適さない環境と変わっていった(図7)。このような地面が集落内に増えるとともに、床下の環境維持の意識は次第に低下したという。

調査した47軒の内では、運河沿いや大きな空地に接するなど、日射の届きやすく通風の良い床下を持つ12軒のみが日常的利用をしていた。

■まとめ

簡単ですが、変化しつつあるタイ水辺集落の住環境変化にともなう暮らし方の変化についてお話ししました。コロナ禍で色々と生活の仕方が変わりました。そのインパクトは大変大きなものでありますが、それ以外のことが原因となって、じわじわと我々の生活も変化しています。変化すること自体を止めることはできません。長期的に良い方向に変わるように、様々な視点から住環境をデザインすることが必要です。

- - - -> 次回は【個室化による住居の使われ方の変化】のお話しです。

参考:下記のURLからラチャドゥ村の様子を撮影した動画をご覧いただけます。

https://www.youtube.com/channel/UCDj2ZQz7iXMTaNUTt-X7Cxw

 

この投稿は、日本住宅会議の会報誌である住宅会議に寄稿した文章を一部修正したものです。2016年から2018年に掛けてラチャドゥ村において、現地の研究協力者であるチュラロンコン大のタードサク・テーシャキット・カチョーン先生らの協力の下、筆者の研究室で実施した調査を基にしている。

稲地秀介, 「海外事情 水田地帯の小さな水辺集落の今 : タイ中部・ラチャドゥ村での調査から」, 住宅会議 = Housing council (109), pp.47-51 2020年6月